シネマ・コンサート開催記念
特別インタビュー

春田 和秀×インタビュアー
樋口 尚文

“伝説の名子役・春田和秀(少年・本浦秀夫役)
はじめて語る『砂の器』の現場” 後編

ピアノと管弦楽のための《宿命》が演奏されるなか、遍路の父子が日本の四季を壮絶に旅する『砂の器』のクライマックス。そこでひとこともセリフが無いにもかかわらず、観客を感動の渦に巻き込んだのが少年・本浦秀夫に扮した子役の春田和秀さん。そもそもテレビや映画で売れっ子の子役だった春田さんだが、7歳から8歳にかけて撮影された『砂の器』はもちろん圧倒的な代表作。
若き日に俳優業から離れた春田さんは、ずっとこの映画の記憶を大切に大切に封印してきた。そして今回、公開から43年ぶりに初めて、熱烈なファンの皆様のために『砂の器』の思い出を語る!春田さんへの初ロングインタビューをはじめ、当時の子役たちに徹底取材した『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』(国書刊行会/8月刊)の著者・樋口尚文の問いに春田さんが答える圧巻のスペシャル・インタビュー!(全2回)

北海道で紅葉のシーンを撮影して、10月にはもう舞台挨拶をしていた

樋口尚文:そういえば春田さんは道中の楽しみで、乗り物が好きだったと聞きました。

春田和秀:ロケ地に行くときは電車で、貸し切りではないですけどメンバーでごっそり乗って、わいわい騒ぎながら。寝る人もいれば食べる人もいるって感じの中に、子どもが1人ぽつんといるような形が多かったので、その中で皆さんに気を遣っていただく時間がいっぱいありましたね。だから飽きてはいなかったですね、旅も好きだったので。

- じゃあそんなに、大人に紛れて苦しいとかつまんないってことはなかった?

とにかく遊んでいただいたっていうイメージがあったような気はしますね。

- それに長いロケで学校には行けなかったけれど、ロケ先で同い年くらいのお友だちができたそうですね。

現場では皆様に色々とよくしていただきましたね。お友達関係なんかでも、ロケ地に同年代のお子さんを持つお母さま方が撮影を観に来たりしていたので、そこでお友達になったりして。あまり行かない学校ではなかなか友達を作るのが難しかったので、仕事の合間にお友達ができるっていうひと時が、すごく楽しかったというか。なんか、不思議なことがいっぱいありましたね。

- 竜飛崎の次は、印象的なところで言うと“あんずの里”です。

長野県ですね。あれは多分、あんずの里では確か学校風景のシーン。学校に行きたいなーってシーンをあの辺で撮ったような気がしますね。あと、子どもたちにイジメられるシーンがありますね。最後には北海道まで行ったような……。

- 最後に何か撮りこぼしがあって「北海道まで行かないと」って……。

スタッフ:"紅葉"ですね。

- あ、紅葉だ! 公開が10月だから、ぎりぎり9月までに……。

テントウムシがいっぱいいたんですよ、旅館に(笑)。数がすごかったので、たぶん秋ですね。

- (公開の)すごい直前まで撮ってたってことですよね?

試写会に入るまでの間が短いんですけど、ちょっと他の仕事をしてたもので、とにかく慌ただしく試写会にいって、上映して、ステージに立って……っていうのが、とにかくすごいスピードで。

- 当時の公開が10月19日って聞くと、紅葉ってスゴイですよね(笑)。あのために北海道に行ったのか!? って。
春田少年はギリギリまで北海道で撮影して、それで公開の舞台挨拶の時に、今までお会いしてないキャストの方々に会うわけですよね?

ほとんど初めてでしたね。森田健作さんだけは他の仕事でお会いした記憶がありましたが、他の方は公開時のステージ上が初めてでした。

- そのとき、皆さんと何かやり取りはあったんですか?

「少年! 少年!」って言われて。僕はまだ小さかったので、この映画がどういう内容なのか、どういう流れで自分はどう映っているのかは、ほとんど理解できてなかったんです。そんな中、舞台挨拶の時には必ず誰かが手を取って隣にいてくれたイメージがあります。「こうやって喋ったほうがいいよ」って言ってくれたりとか。

曲を聴くだけで様々なシーンのイメージが蘇ってくる

- ちょっと前後しますが、数少ないロケ中に一緒にいたスターは、加藤嘉さんと緒形拳さん。そのお2人との思い出は?

緒形さんは、とにかく色んなことを教えていただくことが多かったですかね。例えば、駐在所にあった電話。僕そういうモノにも興味があって、機械的なものが。良くじゃれて遊んでいて「喋ってみなよ」みたいな。あとは、頭を刈っていただくシーン、あれは本当に刈ってたんです。

- ということは、厳密に順撮りを考えておかないとヤバい。撮るもの撮ってから最後に、髪を刈ったってことですよね?

そうですね、髪を刈るシーンは夕暮れの中だった覚えがあって。バリカンで本当に毛を刈っていただいたんですが、痛いんですよ当時のは。でも、カメラ回ってるから痛いとは言えない(笑)。もちろん緒形さんの演技は素晴らしいですが、刈り方は痛くて(笑)。「ごめんね」って言われながら(笑)

- では本浦千代吉(加藤嘉さん)はどうですか?

カイロ代わりになってたっていうことと(笑)、あとは色々と声をかけていただきましたね。食べ物とかキャンディがあると、スッと差し出してくれたりとか。一緒にいるときは隙間なく傍にいてくれました。

- じゃあ、優しかった?

(演技の)アドバイスは一杯いただきましたので、それは子どもながらにすごくありがたいなぁと。表情の作り方とか、何でダメなんだろう? っていうことが、ずっと自分の中にあったので。でも、こうやって流れを見ていくと、今だからすごく分かるというか、そう思いますね。

- 野村監督の演出もあるんでしょうけど、加藤嘉さんにも?

本当に色々とお世話になりながら。ただ、それだけのお付き合いになってしまって。他の局でお会いした時にはご挨拶させていただいた覚えは何度かありますが、共演はなかったですね、後にも先にも。

- お父さん役にしてはちょっとお歳が上だな、とは思いませんでした?(笑)

思ったんですが、ああいった雰囲気のほうが温かみのある表情を出していただけるというか、可愛がるシーンなんかも。僕は子どもながらに演技を見て、バタつくシーンとか抱きしめるシーンとか、やっぱり涙が湧いて出てくるというか。スクリーンの中じゃなくて、自分がぎゅーっとされてるようなイメージっていうのは、やっぱりまだ残ってるんですかね。

そういえば、僕は正直、映画とは距離を取っていたのに、ここ2~3日、テーマ曲の<宿命>が耳からなぜか離れない。試写会から上映されるまでの期間、舞台挨拶しながら何度も映画を観ていたことが小さいながらも記憶に残ってまして。涙を流すシーンなんかは曲を聴くだけでイメージが出てくる。曲を聴けば、鈴を鳴らすシーン、お粥を食べてるシーン、自分が子どもたちに痛めつけられてるシーンとか、蘇ってきます。

- 僕も公開当時に観ていて、最初は後半の山場の前にインターミッション(休憩)が入ってしましたね。今回のシネマ・コンサートも同じ構成で、最初のロードショー時の再現にもなっているわけですが、春田さんも舞台挨拶の時はその休憩の頃から劇場にいたそうですね。

不思議な感じで時間が過ぎていくというか。当時は何度も観る方がいたので、サインや写真をせがまれて、とか。そういうことが休憩時間の間にいっぱいあった。で、子どもながらに映画のすごさっていうのをなんとなく意識はしていたというか、色んな方とお話して握手したことを、すごく覚えてますね。

- 当時は国民的映画というか、何度もリバイバルされましたし。しかしこのセリフのない少年を、日本じゅうの観客がそれぞれの思いをこめて観ていたんでしょうね。

セリフがない部分に、皆さんがご自由に感情を入れ込めるような形が取られていることで、僕も重大さに気づくことがありますね。僕は逆に反省しているというか、もっと映画の中でやっておかなきゃいけなかったかな? って。

- それは十分かと思いますよ(笑)、お子さんの演技としては極限的にやってるんじゃないですかね。でも今おっしゃったみたいに、この映画ならびに<宿命>っていう曲の魅力は、春田さんにセリフがないから観る側が自分の親子関係とか、言ってみれば“自分の宿命”について考えるっていう、そういう皆が自分で補完するところがあるんでしょうね。

例えば公開から40数年経ちますから、何かを背負ったままで観られる方もいらっしゃるでしょうし。人生を送る中で、また感じ方も違ってきたりすると思うので、映画というものはすごく面白いですよね。自分でもこの映画は<宿命>だと感じてますので。

色んな形で“次の世代” に思いを繋げられたらいいなと

- そういう意味では、自分が逆にお子様を持つ……しかも息子さんですよね。その立場になってこれを観るとやっぱり何か感ずるものというか、親と子に関することというか。

似るものは似るでしょうし、背中を見てるっていう部分もあると思うんです。でも自分は幼少期が子役として過ごす時間がほとんどでしたので、やはり子どもにはやりたいことをやらせてあげたいですし。こういう映画に関しても、興味を持つ時期も来るかもしれないし、そのときに思いっきりこういう話をしてあげようかなって思うかもしれないですよね。それもまた、時期が来たらやらなきゃいけないのかなって。自分の役目でもあるし、次の世代に伝えていかなきゃいけないっていうのもありますから。まあ生き方は全然違いますけどね。

- せひ、(親子で)ご一緒に観ていただきたいという気持ちはありますけどね。『砂の器』はとても力ある映画だし、「宿命」も日本映画としては画期的な楽曲なんですけども、春田さんがすごく背負うものが大きくて、40数年間ほぼほぼ語ることがなかった。それが今回「そろそろ話してみようかな」と思い立ったきっかけっていうのは?

熱烈な観客の皆さんの気持ちに応えて、40数年語らなかったことを話してみませんかとお誘いいただいたことで、『砂の器』っていうものを、もう一度観直すチャンスを頂いて。それまでは本当に封印していこうと思っていたのですが、やはりこれはさまざまな思いのある方がいるからこそできた素晴らしい映画であり、なおかつ長い年月を経ても記憶に残る作品として、僕の子役時代から40年経った今も大事にしなきゃいけないと気づかせていただいて、本当に感謝しています。あとは子どもの頃にはできなかったことがいっぱいありまして、それにやはり気の遣い方もそうですし、いろんな形での対応というのがしっかりできなかった部分が、今になってよく分かるというか。もう大人になりましたから、これを機に色んな形で、次の世代に思いをうまく繋げられたらいいなと考えます。あとは、やっぱり良い映画でお仕事させていただいたことに改めて感謝したいなと。

- 最近の再映でも、オールドファンはもとより意外と若いファンも含めて、『午前十時の映画祭』など(笑)、リバイバル上映の時も超満員なんですよ。だからこの映画は、なにやら一種の“魔力”が、すごいなと思って。みんな実は秀夫少年の40分に、滂沱のごとき涙をふり絞られてるわけですよね?(笑)。そういう春田さんが、こうやって出てらっしゃって、ようやくそのことを語ってくれた。これは最上のファンサービスだと思ってて、僕はファン代表としてはすごく嬉しいんですけどね(笑)。

そしてまた今回のこのシネマコンサート、今までってそれこそ、最近は西本智実さんが、昔は東京交響楽団も組曲「宿命」だけはコンサートもやってましたけど、劇中音楽の隅々まで全部演奏するっていうのは、ファン的には夢のような出来事ですごいなと思うんです。そんなコンサートに寄せて、春田さんから何かメッセージはありますか?

そうですね、一生懸命、映画の撮影をやらせていただいて、いろんな方に迷惑をかけながらも、本当に皆さんに暖かく見守られながらやりとげて。私も演じてた時は最後の40分がどうなるかというイメージは見えなかったんですが、最後にこういうかたちの作品になった時に、すごいものだなって感じました。僕としてはこの映画を始めたころからだと45年くらい経つんですが、すごく偉大な映画だなっていうのは、今でも思いますね。どんどんそういう気持ちが強くなってきてる部分があるし、やっぱり観ていただきたいですね、いろんな方に。

春田 和秀(はるた・かずひで)※写真左
1966年生まれ。ものごころついた時から子役として活躍、『わが子は他人』『白い地平線』『がんばれ!レッドビッキーズ』『こおろぎ橋』などのテレビドラマ、『はだしのゲン 涙の爆発』『ガラスのうさぎ』などの映画に多数出演。『砂の器』の本浦秀夫役は大きな好評をもって迎えられた。若くして子役を引退し、現在は自動車関係の会社を経営。今回、43年ぶりに初めてファンのために『砂の器』を語る。
樋口 尚文(ひぐち・なおふみ)※写真右
1962年生まれ。映画評論家、映画監督。著書に、詳細な『砂の器』論を含む『「砂の器」と「日本沈没」 70年代日本の超大作映画』をはじめ、『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』ほか多数。春田和秀さんのロングインタビューを含む『「昭和」の子役 もうひとつの日本映画史』(国書刊行会)が8月刊行。